ジュニアエコノミーカレッジで思い出していたこと「石油からエナジーへ」

私が所属する恵那商工会議所の副会頭でいらっしゃる山本恵嗣(やまもとけいじ)さん。
とてもお世話になっております。

先日、開催された恵那地場産業博覧会(略称エナビバジバフェスタ2010)の実行委員長をされました。
我々青年部は、親会の委託をうけ、恵那産業博覧会の設営運営をしております。その我々の陣頭指揮をとっていただいてました。
何ヶ月も続く会議はもちろんですが、会場設営や片付けまで「手伝って」いただき、青年部メンバーには山本さんの大ファンが私も含めて少なからず(たくさん!)おります。

さて本題。
青年部だけでなく、私個人的にもお世話になっておりまして、そんな時のエピソードを。

以前、山本さんのご尊父に、「激動の昭和と恵那、そして商売」についてお話をしていただく時間を創ってもらいました。
当時、志士の会という有志で集まった勉強会で講師をしていただいたのです。
その時、2度の戦争に出征され、生き残られた話。
体が小さく兵士としては頼りなかったかもしれないが、朝一番に起き、現地の方達と仲良くなって食料を調達したり、それが上官の気に入り、居心地が良かった、どこでも相手のことを考えると出来ることがいっぱいあって、俺のような体の小さい兵隊でもうまくやっていけるんだ、とエピソードをお話いただきました。
そうした2度の戦争体験からあの体験より怖い物はなくなった、どこでも生きていけるとおっしゃってました。
帰国後、ご商売の修行時代、初めて買っていただいたお客様が恵文堂の親父さんだそうで、恵文堂さんの前を通る時は今でも車の中だけれど一礼しています、とのことでした。
残念ながら、そのお話を頂いた後、しばらくして体調を崩されてお亡くなりになりました。

昭和という時代を創り、恵那という地域を創った昭和の商売人。
お体の小さな方でしたが、静かな中に気迫といいますか、気魂が鎮座されているような方でした。

その息子さんでいらっしゃいます山本恵嗣さんに別の機会でお話を聞いたことがあります。
志士の会は2代目および若手経営者勉強会でしたので事業承継ということがひとつのテーマでもありました。
そこで山本恵嗣さんに2代目経営者にアドバイスをいただきました。

「親を親と思うな」
親を親と思うから、腹も立つ。会社の上司と思えば、どんな理不尽な命令も喜んで従わざるを得ないでしょう。

至言だと思いませんか?
また会社についてもおっしゃられていました。

「会社の名前は大切。名前が行動を規範します。山本石油、山本瓦斯だとそれ以外売ってはいけない気持ちに社員さんも私もなってしまう。だから山本エナジーという社名が出来た。これなら太陽光でもオール電化でもエネルギーに関することはすべてテリトリーになるでしょう?」
現在のエコブームを予言されてますよね。すごい卓見です。

実は、12月18日に恵那産業博覧会最後のイベント、ジュニアエコノミーカレッジ表彰式で山本副会頭のごあいさつを聞いていて、上のようなエピソードを思い出しておりました。

恵那にはすごい経営者がいらっしゃいます。
恵那商工会議所にはすごい先輩がいらっしゃいます。
同じ空気にいるだけで、盗めるところは盗もうと思っております。

ご参考リンク: 山本グループ